トマ・ピケティの21世紀の資本

2019年2月1日

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年明けから「21世紀の資本」を読んでいます。格差をテーマとしたもので、いろんなことを考えさせられます。

山茶花 ありふれた花ですが好きです。

遅ればせながら読んでいます。

「21世紀の資本」を読んでいます。

数年前に話題になりましたね。ブームからかなり乗り遅れていますが、年明けに図書館から借りてきました。注釈抜きで約600ページというとても長い本です。まだ、読み終えていませんが、いろんなことを考えさせられます。

21世紀の資本の概要

長期的には、資本収益率は労働収益率を上回るといのがこの本の主題です。

⇒労働で稼ぐよりも資本家の方が収益率が高い

⇒資本を持っている資本家に富は集まる

⇒富の配分は不公平になっていく

なんだかんだ言って、お金があるというのは強いということですね。2つの面で強いと思います。

1つ目は、金銭面。2つ目は、教育にそれだけお金をかけられるという点。

1つ目は言わずもがなですね。お金に余裕がないと、車を買うのも、家を修理するのもローンを組まないといけない。低金利とはいえ、そこそこの利息は取られます。(銀行に預けているとほとんど利息はつかないのに!)ますます家計は苦しくなる。一方、お金に余裕があるとお金を借りなくていいのに加え、投資に回せます。そして投資の収益で富は蓄積されていく。貧困層には悪循環なのに、富裕層には好循環という矛盾。

2つ目の教育面。教育にお金がかけられると、それだけ給与の高い職業に就く可能性が高まります。これもプラスに働きますね。

富が自分が働いて稼いだお金だけならばそれほど、格差は広がらないのでしょうが、親から受け継いだ財産が大きいとピケティさんは言っています。

富の配分が不公平な状態は良いこととは思わない

一生懸命働いた人がたくさんお給料をもらうのは当然だし、報われないと勤労意欲もわかないのはよくわかる。だから、みんな同じ給料で、なんていうつもりは毛頭ありません。

でも、ちゃんと働いているのに、賃金の安い職種という理由で生活が楽にならないというのは、何かおかしい気がします。

加えて、ゴーンさんの時も話題となっていましたが1980年代以降、とてつもなく高い報酬をとるスーパー経営者という人が増えたそうです。日本ではそれほど高額の報酬は珍しいですが、米国では何百億といった報酬をもらう経営者もいます。成功者だから、多国籍企業で高い能力が要求されるからとか、いろいろ理由はわかるのですが、ほんまに何百億も必要?って思ってしまいます。

所得の上位層が経済成長の大部分を享受して、貧困層にその恩恵がないというのは、社会が不安定になるということだと思います。貧困層が生活できないと治安も悪くなります。自分で生活できない=社会保障に頼りということにもなしますし、社会全体のコストも増えると思います。なので、私自身は格差の少ない社会の方が暮らしやすいと思っています。

自分自身はどうなんだろう?

やっぱりお金は欲しいと思います。

美味しいものも食べたいし、いい服だって着たいし、いい車にだって乗ってみたいです。

正直、不労所得にも憧れます。

でも何百億も必要なんでしょうか?

実際にそんな大金を手にしたことがないからわかりませんが、その立場になったらもっと欲しい!とか、税金なんて払いたくないから海外に所得を移そうとか思うのかもしれません。

格差が少ない社会の方がいいといいながら、矛盾ですね。

お金ってなんだろう?

お金を扱う仕事しているからこそかもしれませんが、難しいですね。

お金がある=幸せではないけれど、極端にお金がないのは、やはり不幸の元になると思います。生活が維持できないくらいになってくると、人間はまともな思考能力を失います。

資金繰りが悪くなってくると、経営者の判断がおかしくなってくるというのもよくある話です。

お金に関する教育といのは大事だと思います。日本では、お金に対する教育というと何かいけないことのような風潮がありますが、どういった仕組みで税金が課税されて、社会保障のためにどんな制度があってみたいなところは大切だと思います。知識がないために、受けられるはずの社会保障を受けていないケースや、税金に関する誤った知識をそのまま信じておられる方も多数いらっしゃいます。そんな問いに丁寧に答えられるような仕事ができれば理想だなあと思います。

編集後記

今日は、自宅で事務作業をしていました。気がつけば1月も明日で終わりですね。